声を上げれば社会は変わっていく
作家 山元加津子さん

講演会から

(特別支援学校の)子どもたちは大切なことを教えてくれました。きいちゃんは、生まれてすぐ高い熱が出て障害を負い、3、4歳で施設に入りました。「どうせ私なんて」と言うのが口癖。気がかりでした。ある時、職員室にいる私のところに来て、「お姉ちゃんの結婚式に出るんだ」って言いました。私も「よかったね」って。ところが、数日後に泣いているきいちゃんを見つけました。「お母さんが私に結婚式に出ないでほしいって言ったの。お姉ちゃんばっかりかわいいのよ」って。お母さんは決してそんな方じゃありません。きいちゃんが結婚式に出ることで肩身の狭い思いをすると思われたのかもしれません。


*中央が山元さん。右はロサンゼルスでの山元さんの映画の上映会主催者の井上小夜子さん、左はジョー・マスダさん

私は「お姉さんにプレゼントを作らない?」と提案しました。そうしたら、きいちゃん、着物を縫いたいと言ったの。ビックリしました。浴衣だったら縫えるかもしれないと始めました。でも、きいちゃんは手に重い障害があったから、縫ううちに布が血で染まりました。でも「大丈夫、大好きなお姉ちゃんのためだから頑張るよ」って。授業中もずっと縫っていました。完成してお姉さんに送ったところ、結婚式に私にも出てほしいっておっしゃったんです。お母さんに電話したら、「あの子の姉がどうしてもと言うので出てやってくれませんか」とおっしゃいました。

…………中略

インタビュー

昔と今で日本の障害者を取り巻く環境は変わりましたか?

以前は養護学校の子どもが素晴らしい絵を描いても、本名で発表することがほとんどありませんでした。でも今はお顔も出して名前を出して、「この作品が素晴らしい。作者にたまたま障害があった」というようになりました。

こんなことがありました。遠足でジャスコ(現在のイオン)に行ったんですね。子どもたちがウンチをしたので、トイレで着替えようとしました。私たちは床にブルーシートを敷いて、その上でオムツ替えをしました。でも、ベッドでないとやはり子どもたちも私たちも大変です。たまたま、お客様の声のコーナーがあったので、「せっかくトイレが広いので、簡単なベンチかベッドがあったら、着替えができます」と書きました。すぐ連絡があって、「障害者用の駐車場があれば、障害者の方も来て、オムツ替えが必要だったのに、そのような設備まで思いが至らなかった」と言ってくださいました。それでどんなベッドがいいかを聞いてくださって、すぐに簡単なベッドを入れてくださったのです。誰かがそうしたいと思って声を上げれば、社会は必ず変わっていく、私はそう信じています。

アメリカの印象は?

人種が違ったり、お国が違ったりするたくさんの人が共存している場所。お互いの違いを受け入れることができる、そういう国だと思います。私のように昨日今日、アメリカを訪れたような人にも、にっこり笑いかけて優しくしてくれる人々が住む、懐の深さを感じます。
(取材時期 2018年5月)

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