エッセイアイコン

『テラスハウス』で注目、
ミュージシャン・俳優のイーデン・カイさん


綺麗な日本語のハワイの高校生

高校生の娘の勧めで『テラスハウス』を見始めた。若い男女がシェアハウスで共同生活を送る中で生まれる恋愛や葛藤、そして夢を追いかける姿を追うリアリティーTV。番組冒頭のナレーションでは「台本はない」と断りが入る。6人の男女の等身大が視聴者の共感を呼び、2017年からはNetflixの配信により世界中で視聴できるようになった。『テラスハウス』には東京編や軽井沢編などいくつものシリーズがあるが、私自身が釘付けになったのは『テラスハウス ALOHA STATE』だ。タイトルから分かるように舞台はハワイの一軒家。登場人物は、シェアハウスへの入居、そして退居で何人も入れ替わったが、その中で特に印象的だったのが悠介(鮎澤悠介)だ。

ミュージシャン・俳優のイーデン・カイさん

ウクレレのアーティストとして演奏シーンで強烈な存在感を示す悠介は、しかし、音楽から離れると遠慮がちで優しい印象の地元の高校生だ。綺麗な日本語を話し、日本の名前を持つ悠介。なぜハワイの高校に通いながら完璧な日本語を話すのか。もしかしたら、彼は私の子どもたちのように、日本人の両親を持つ二世なのか。日々、ロサンゼルスの日系人を取材している私は、「その人のバックグラウンドが気になって仕方ない」職業病とも言える症状から、すぐに悠介について調べた。

そして、彼が東京都八王子出身で、ハワイには14歳の時に家族と一緒に移住したことが分かった。さらに興味を引いたのは彼の父親が日系アメリカ人2世、母は中国の内モンゴル出身ということだった。

東京では子役としても活躍

2019年11月、彼が『テラスハウス』に出演して3年近くが経過した頃、実際に本人とロサンゼルスで会う機会に恵まれた。悠介はEDEN KAI(イーデン・カイ)というステージネームで、日本とハワイ、さらにアメリカ本土を行き来するミュージシャンに成長していた。そして、EDENのマネージャーを務める父親のケン・鮎澤さんも取材に同席いただいた。

EDENは、『テラスハウス』がきっかけとなり日本でミュージシャンとしてデビューし、アルバムやシングルを発表した後に各地でライブ活動を展開、さらに俳優としても日本のドラマに出演していると近況を話してくれた。聞けば東京に暮らしていた頃から劇団に所属し、子役として活動していたそうだ。

一方でケンさんはNHKの英語番組に18年間もレギュラー出演していたとか。なぜ、オレゴン出身のケンさんが日本で仕事をしたのか、その辺りを本人に聞いた。「親戚に医者が多い厳格な家系でした。私がエンターテインメントの業界に進みたいと言っても、家族は誰も理解を示してくれませんでした。なぜ、医者にならないのか、というわけです。でも、私はエンターテイナーとは、ショーを通じて人々を笑顔にする“ドクター・オブ・エンターテインメント”だという誇りを持っています。しかし、私が若い頃、今とは状況が異なり、日系をはじめとするアジア系にはアメリカの芸能界での需要はほとんどなかったのです。それで私は機会を求めて日本に渡りました」。その日本でケンさんは、医者になるために内モンゴルから日本に来ていた女性と知り合い、結婚する。二人の間に生まれたのが悠介だ。

ミュージシャン・俳優のイーデン・カイさん
父親のケンさんとロサンゼルスで


両親は息子の可能性を広げるために、彼が興味を示すことにはなんでも挑戦させた。サッカー、水泳、前述のように劇団に所属した後、さらにダンスや歌にも夢中になった。当時は将来的に芸能の道に進むことを意識していたわけではなく「ただ楽しいと思えることをやっていた」と話す。しかし、一方で彼の中には周囲の友達とは違う、自身の家庭環境に羞恥心に似た気持ちを抱いていたとも打ち明ける。日本は「右に倣え」の精神で他者と同じことが良しとされ、多様性とは程遠い社会だ。

日系3世でもあり、中国とのハーフでもある悠介。彼は母親からどのような影響を受けたのだろうか?「母はとにかく勤勉な努力家です。人生に対して常に前向きで楽観的な考えを持っていて、『幸せの定義はない。自分が幸せだと感じているなら、それが幸せ』と幼い頃からよく言い聞かされてきました。また恩返しの大切さも母から学びました」。ちなみにステージネームのKAIは、北斗七星の中で一番大きな星を中国語で魁皇と呼ぶところから来ているそうだ。

オリジナル: 全米日系人博物館運営 Discover Nikkei 【2019年12月】

Author

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)